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岐阜地方裁判所大垣支部 昭和47年(タ)4号 判決 1973年11月29日

原告 佐藤一春(仮名) 外一名

被告 佐藤愛子(仮名)

主文

原告らと被告との間の昭和四一年八月一五日付岐阜市長に対する縁組届によつてなされた養子縁組のうち、原告光子と被告との間の養子縁組は無効であることを確認する。

原告らのその余の請求は棄却する。

訴訟費用は二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

事実

第一、当事者の求めた判決

一、原告ら

原告らと被告との間の昭和四一年八月一五日付岐阜市長に対する縁組届によつてなされた養子縁組は無効であることを確認する。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二、原告らの請求原因

一、原告一春と同光子は昭和三八年二月一九日に婚姻届出をした夫婦である。

二、戸籍には原告らと被告とが昭和四一年八月一五日付で岐阜市長宛に養子縁組届出をした旨の記載がある。

三、しかし、原告らは、被告と養子縁組することを承諾したことはないので、本訴において右届出による原告ら被告間の養子縁組(以下本件養子縁組という)が無効であることの確認を求める。

被告は原告一春の長男佐藤一夫に妻子のあることを充分知りながら一夫と肉体関係を続け一夫の妻子を不幸のどん底に陥れた者であり、原告一春には他にも息子があつて養子縁組する必要も全くなく、原告らが本件養子縁組を承諾することはありえない。

また、被告主張のように、単に被告とその子の輝夫に佐藤姓を名乗らせる便法として本件養子縁組を結んだというのであれば、被告にも実際に養親子関係を形成する実体的縁組意思がなかつたというべきである。

第三、被告の請求原因に対する認否及び主張

一、請求原因一、二項の事実は認める。

二、本件養子縁組は次のような事情の下に原告ら両名の承諾の下に成立した有効なものである。

被告は昭和三六年六月頃一九歳の時から原告一春の長男亡佐藤一夫の経営する土木建築業佐藤組に勤務することになつたが、一夫はそれ以前から妻正子と折合が悪く、被告に正子と離婚して被告と正式に婚姻したいなどというようになつた。被告は一夫のこの言葉を信じて昭和三七年一月頃から一夫と肉体関係を持つようになつたが、正子が精神病で精神病院に入院したことなどのため離婚話が難航し、正式に婚姻できないまま、昭和三九年九月頃から一夫と同棲し、昭和四一年一二月二八日一夫との間に輝夫を出産した。被告がこの輝夫を懐胎中、被告と出生してくる子に正式の婚姻の代りとして一夫の佐藤姓を名乗らせる便法として、一夫と原告一春が相談して原告ら両名と被告が養子縁組をすることを考え、原告ら両名の同意の下に本件養子縁組が成立したものである。

なお、被告と一夫との同棲生活は昭和四六年七月六日一夫が死亡するまで継続し、原告らはその間被告に原告らの養女でかつ長男一夫の実質上の嫁として接していたのに、一夫が死ぬと掌を返す如く、本件養子縁組を否定して本訴を提起するに至つたもので、原告らのこの態度は被告の理解に苦しむところである。

第四、証拠関係

一、原告ら

1  甲一ないし八号証

2  証人林田和雄、同谷口祐、同畑宗二、原告一春(第一回)同光子(第一、二回)

3  乙一、二号証、五号証、九号証、一一ないし一三号証、一四号証の一ないし三の各成立は認めるが、その余の乙号各証の成立は知らない。

二、被告

1  乙一ないし六号証、七号証の一ないし三、九号証、一〇号証の一ないし四、一一ないし一三号証、一四号証の一ないし三、一五号証の一ないし一五、一六号証の一ないし六

2  証人野村安雄、同原口篤治、同杉沢達夫、被告(第一、二、三回)、原告一春(第二回)

3  甲一、二号証の成立は認める。三号証が偽造文書であることを否認する。

四号証の成立は成立日を除いて認める。成立日は昭和四六年一一月八日である。

五、六号証の成立は認める。七号証の官署作成部分の成立は認めるが、その余の部分の成立は知らない。八号証の成立は認める。

理由

一、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したと認められるから真正な公文書と推定すべき甲一、二号証によると、請求原因一、二項の事実が認められる。

二、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したと認められるから真正な公文書と推定すべき乙一号証、同五号証、同一一ないし一三号証、同一四号証の一ないし三、被告本人尋問(第一ないし三回)によつて真正に成立したと認められる同六号証、同一五号証の一ないし一五、被告本人尋問(第三回)の結果によつて原告一春と被告との間の昭和四六年一一月八日頃の電話による会話を録音したと認められる甲四号証、被告本人尋問(第一回)によつて被告・一夫・輝夫を撮影した写真であると認められる乙七号証の一ないし三、同尋問の結果によつて被告・一夫・徳子を撮影した写真であると認められる乙一六号証の一ないし六、証人野村安雄、同畑宗二、同杉沢達夫、同原口篤治の各証言、原告本人尋問(第一ないし三回)の結果、並びに原告ら各本人尋問(各第一、二回)の結果の一部によると

1  被告は中学卒業後三年位大垣市の紡績会社に勤めた後、普通自動車運転免許証を取得したのを機会に、昭和三六年七月岐阜市内の○○工業に勤めたが、間もなく同社が倒産したため、そのころ同社に仕事で出入していた顔見知りの亡佐藤一夫が代表者をしている土建業の株式会社佐藤組に運転手兼事務員として勤めることになつた。

2  その頃、一夫は妻正子・長女徳子・祖母よねこと共に岐阜市○○町に住んでいたが、夫婦仲は悪く、被告の仕事が一夫の乗用車の運転手で一夫と行動を共にすることが多く、一夫から家庭内の悩みを聞いたりするうちに、被告と一夫は次第に親密になり、昭和三七年一月肉体関係ができ、一夫はその頃から岐阜市○○町の○○荘アパートに一室を借りて被告を住まわせるようになつた。

そして同年四月から被告は午前は○○学校に通い、午後は佐藤組に勤める生活をし、昭和三八年三月から佐藤組を止め美容院に勤めるようになり、同年九月住いを岐阜市○○町の第二〇〇荘に替えた。この頃は一夫は遅くなつても○○町の家に帰つていた。

3  しかし、一夫は昭和三九年九月中風のため身体の不自由な祖母よねこと右第二〇〇荘に移り、被告は美容院の勤めを止めて昭和四〇年三月よねこが死亡するまで同女を看病した。この頃一夫の長女徳子も時々第二〇〇荘を訪問し、伊吹山や明治村へ一夫や被告と遊びに行つたこともあつた。

4  被告と一夫との同棲生活はその後も続き、昭和四一年三月被告は妊娠した。一夫は被告と正式に婚姻するため正子と離婚することを協議していたが、同女が精神病で精神病院に入院したことなどもあつて離婚の協議は仲々まとまらず、そのうち被告の出産も近づき、被告が自己が同籍している岐阜県不破郡○○町○○△△番地の実父野村宏の戸籍に被告が非嫡出子を出生したことが記載されることや、生れてくる子が父親の佐藤姓を名乗れないことを嫌がつたこともあつて、正式な婚姻に代えて被告と生れてくる子に佐藤姓を名乗らせる便法として、一夫の父である原告一春と被告が養子縁組することを思いつきき、同年六月頃右第二〇〇荘を訪れた原告一春をその肩書住所地へ被告が運転する乗用車で送つて行く際、一夫と被告は右事情を話して、原告一春が被告と養子縁組することを承諾してくれるように頼んだところ、原告一春は被告らに考えておくと答えた。

5  同年七月中頃、養子縁組することについて原告一春の承諾を得た一夫から、縁組届出に要する被告の戸籍謄本を準備するように言われて、被告は本籍地の○○町へ行き戸籍謄本の交付を受けて一夫に手渡したところ、一夫は原告らの本籍地の岐阜市役所○○支所で養子縁組届の用紙(甲三号証)を、その養親・養子欄についてその頃同支所に勤務していた原口篤治に記入してもらつて受取り、その届出人欄の養父母・養子の各欄に原告らと被告の住所氏名を記入し、原告らの名下に佐藤の印を押捺し、証人欄に自己の名を署名押印の上、美容院で仕事中の被告に届出人欄へ被告の印の押捺と、証人欄に母野村ときの住所氏名印を記入押捺させて、養子縁組届書(甲三号証)を完成し、同年八月一五日岐阜市長宛にこれを提出した。その後同年一二月二八日被告は輝夫を出産したが、その命名や被告名義のその出生届も一夫によつてなされた。

6  一夫は昭和四二年六月心臓発作のため○○病院に入院し三ヵ月程して退院したが、その後も高血圧症と腎臓炎のため通院治療を受けていたが良くならず、昭和四五年一〇月八日からは半身不随となり再び○○病院に入院し、同月一三日岐阜市内の△△外科に移つて手術を受け昭和四六年一月一旦は退院し、同年五月には被告らと被告の肩書住所地に移住し、同年六月同所で被告は美容院を開業することになつたが、一夫は再び△△外科に入院し、同年七月六日同外科で治療を受けている際脳溢血で死亡した。

この間被告が一夫の看病をし、一夫は昭和三九年九月被告と同棲して以来、被告と事実上の夫婦として暮らし、正子の所へ帰つたことはなかつた。

7  原告一春は、大正一三年佐藤達之助・よねこと婿養子縁組すると同時にその長女いそこと婚姻し、その間に長男一夫ら二男を儲けたが、いそこ死亡後原告光子と長く内縁関係を続けた後昭和三八年二月正式に婚姻し、肩書住所地に住んでいた者であり、当初は一夫と被告との関係に反対していたが、正子が精神病院へ入院したことや養母よねこを被告が看病したことなどから次第に被告の存在を認めるようになり、一夫と被告らの居住する第二〇〇荘や被告の肩書住所地、被告の美容院をしばしば訪れ、一夫から正子や被告のことについて色々相談を受けており、被告と養子縁組することも承諾し、一夫が死亡する数日前○○外科へ一夫を見舞つた際も一夫から早く正子と離婚して被告と正式に婚姻したい旨正子との離婚の交渉を頼まれた。

8  一夫死亡後、一夫の遺体は、原告一春と被告と相談の結果、○○外科から被告の肩書住所に運ばれ、同年七月六日同所で被告の親兄姉と原告らによるお通夜をし、翌七日火葬にし、同月一〇日○○寺で本葬が行なわれた。この間一夫の死亡届や死体火葬許可申請は、原告一春の指示により、被告によつてなされ、事後被告がそれらの書類に一夫の妹佐藤愛子として記載した旨報告し、その旨の死体埋火葬許可証(乙一号証)を手渡しても、原告一春は何ら苦情を言わなかつた。また同年七月一七日原告らの肩書住所地で開かれた三五日忌の法要に、原告らは被告やその兄野村安雄を招待し、丁重に持て成した。

9  同年九月中頃、被告は原告らの肩書住所へ行き、原告一春に輝夫の認知について相談したところ、原告一春は一旦は認知の手続をとることに同意したが、その後急に原告光子と共に兄が妹の子を認知できるかとか徳子の結婚に差支えるとの理由で、認知の手続に反対し、原告が岐阜地方裁判所に対してなした認知請求の訴訟(岐阜地方裁判所昭和四六年(タ)第二二号)に原告佐藤は被告の検察官のため補助参加した。

そして同年一〇月になると原告らは同月一四日に行なわれた一夫の一〇〇日忌の法要において、○○寺の住職から聞いて原告らと被告との間に本件養子縁組がなされていることを初めて知つたとして、その無効を主張し始めた。

10  原告光子は一夫が成人してから原告一春と内縁関係に入り、一緒に生活したこともなかつたため、一夫と余り親しくなく、被告との関係に反対し、被告が輝夫を出産したことも嫌つており、原告一春が一夫や被告と交際することも余り快く思つておらず、一夫が入院したことを知らされた際「悪い時ばかり言つて来て」などと言つたこともあつて、一夫は原告らに自分が入院したことを知らせるのを被告に反対したこともあつた。

また、原告光子は以前警察官を下宿させていたこともあつて警察官に知り合いが多かつたため、昭和四三年頃一夫が買つた不動産をめぐつて紛争が生じた際、一夫の依頼により原告光子が知人の警察官を通じてそれを解決し、被告の佐藤愛子名義に不動産の所有権移転登記をしたこともあつた。

との事実が認められ、右認定に反する部分の証人林田和雄の証言及び原告ら各本人尋問(第一、二回)は前掲各証拠に対比すると容易に採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかし原告光子が、被告と養子縁組することを承諾したとか、実際に養子縁組したことを知つていたと認めるに足りる証拠は何もない。

以上の事実によると、一夫は、原告一春と被告との養子縁組するについての合意の下に縁組届出を代行するに際し、原告一春には妻の原告光子がいるため、民法七九五条本文により原告光子も養母として本件養子縁組の当事者に加えて本件養子縁組届書(甲三号証)を作成して届出たが、原告光子からその旨の承諾を得ておらず、原告光子も原告一春と被告が養子縁組していることを知りながらこれを黙認していたが、原告光子自身もその養子縁組の当事者となつていることまで気が付かなかつたと認めるのが相当である。

三、ところで、民法七九五条本文は、配偶者のある者は、その配偶者と共にするのでなければ、養子縁組をすることができない旨規定するか、これは夫婦の家庭生活の平和を維持し、養子となる者の福祉をはかるために、夫婦双方が共同して相手方との間に親子関係を成立させるのが適当であるとの配慮に基づくものであり、本来養子縁組は個人間の法律行為で、右規定により夫婦が共同して縁組する場合も、夫婦各自にそれぞれ縁組行為があり、それぞれ相手方との間に親子関係が成立すると解されるから、夫婦の一方の意思に基づかない縁組の届出がなされた場合(このような養子縁組は原則として縁組の意思のある他方の配偶者との関係においても無効であるが)でも、その他方と相手方との間に単独でも親子関係を成立させる意思があり、かつ、そのような単独の親子関係を成立させることが、一方の配偶者の意思と利益に反するものではなく、養親の家庭の平和を乱さず、養子の福祉の趣旨にもとるものでないと認められる特段の事情の存する場合には、夫婦の各縁組の効力を共通にする必要性は失われ、縁組の意思を欠く当事者の縁組のみを無効とし、縁組の意思を有する他方の配偶者と相手方との間の縁組は有効に成立したと認めることが妨げないと解するのが相当である(最高裁昭和四八年四月一二日第一小法廷判決判例時報七一四号一七九頁以下)。

そして、前項認定の事実によると、原告一春も被告も、原告光子と被告との縁組の成否にかかわらず、原告一春と被告との間に縁組を成する意思(被告と事実上の夫婦として内縁関係にある一夫の父の原告一春がその関係を認めて、被告と一夫との婚姻に代えて、配偶者の父に類した関係を成立させようとするのは社会通念上親子関係を成立させようとするのと同視すべきであり、実体的縁組意思と解するのが相当である。)を有し、現実にも原告一春は被告に一夫の事実上の妻として接しその間に親子関係が形成され、原告一春と被告との間に単独に親子関係を成立させることを原告光子は黙認し、それによつて、原告光子の妻としての相続分に影響することもなく、原告らの家庭の平和も被告の利益も害されたことはなかつたと解されるから、本件養子縁組は原告一春との間の縁組についてのみ有効とするに妨げない特段の事情があると認めるのが相当である。

四、すると、本件養子縁組のうち原告光子と被告の縁組は原告光子の縁組意思を欠くので民法八〇二条一号により無効であるが、原告一春と被告の縁組は有効と解すべきだから、原告らの本訴請求は、本件養子縁組のうち原告光子と被告との縁組の無効の確認を求める限度で理由があるのでこれを認容し、原告らのその余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九二条本文、九三条一項本文を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 河田貢)

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